與那覇有羽

「風の吹く島〜どぅなん、与那国のうた」

与那国語では、与那国を“どぅなん”といいます。

「風の吹く島〜どぅなん、与那国のうた」
沖縄本島から南西に約509Km、東京から約1,900Km、台湾とは約111Km、日本最西端の島、与那国。
自然・文化・歴史すべてが独特の雰囲気を持つ与那国が育んだ、情感溢れる民謡、歌謡、伝承歌の数々を収録した決定盤!!


■本作について

与那国の唄の成り立ちは、農耕に於ける祭事などで述べられた祝いの言葉や、祈願の言葉に辿り着きます。

種蒔きから収穫までに行われる年間行事を通して、与那国語による祝詞やタカビ(崇べ)言葉、ドゥングドゥ(読み言)などで、神との交流を試み、また神への祈りを捧げました。

これが与那国に於ける「うた」の始まりであろうと言われています。従って元々の唄はアカペラになります。その後、沖縄本島から八重山を通じて三線が入って来ると、本島や八重山諸島の民謡の影響を受けながらも、与那国語の歌詞やメロディーを持つ民謡が生まれました。また、メロディーは本島や八重山の民謡を踏襲しながらも、与那国独自の歌詞が付いた曲も生まれました。さらにアルバム収録曲の「六調」や「与那国ストトン節」など、歌詞の一部が与那国の世情に即して、書き換えられたものも生まれました。

与那国の唄の背景には、厳しい歴史背景(特に琉球王朝と薩摩からの税金の厳しい取り立て)や、そこから派生する経済的困窮と、そして長く過酷な政治的抑圧の中で、それに堪え忍びながらも、少しでも明るく、楽しく日々を暮らそうという思いがあります。また、台湾との距離も近く、古くからお互いの交流があり、本アルバム収録の「与那国ストトン節」の歌詞にはそれが反映されています。

さらに、本アルバムには与那国で生まれたわらべ唄も収録されていますが、与那国独自のわらべ唄は20曲を超えると言われています。

数多い唄の中でも、特にアカペラの唄は与那国独自のものであり、現在も日常的に歌われています。

沖縄本島、八重山の民謡とは一味違う、与那国で生まれた伝承歌、民謡、歌謡など多彩なうたを収録したのが本アルバムであり、まだまだ知られざるその魅力を伝える一枚です。

28.95㎢の面積の島から、これだけ多彩な唄が生まれて来たこと、そして現在もそれらの唄が歌われていることは、まさに特筆に値すべきことです。


■収録曲

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① どぅなんとぅばるま
與那覇 有羽と桂子夫婦によって歌われるアカペラ曲。『厳しい島の生活の中、父母の愛を思わずにはいられません』 と歌われています。
② 猫小節
ユーモラスな雰囲気の唄ですが、歌詞は、女性を猫に喩え、『青年達の目をくらます 大した猫』 と歌われています。
③ どぅんた(今日が日節〜すゆりでぃ節)
「どぅんた」とは、八重山で唄を意味する「ゆんた」から来ていますが、与那国では「踊りうた」という意味もあり、祭りの際に歌われます。とても勇壮な響きの唄です。
④ ちぃでぃん口説〜しゅうら節
豊年満作を祝い、さらに永遠の夫婦の契りを祈願する「ちぃでぃん口説」。今日の日を大切にし、黄金日が来る事を願う「しゅうら節」。2曲共、明日への希望を歌った唄です。
⑤ でぃらぶでぃ節
「でぃら」とは人名、「ぶでぃ」とは敬語となります。イラブチャーなど魚の名称も出てくる、大漁を祝う唄です。
⑥ とぅぐる岳節
與那覇 有羽の妹、いずみの見事は歌唱によるアカペラ曲。与那国の名勝、どぅぐる岳をモチーフにした曲です。
⑦ いとぅぬぶでぃ節
大変美しい娘が、島役人や村長から気に入られてしまった。さてその運命やいかに?
⑧ 六調節
大変ダイナミックな歌唱が聴きどころのこの唄は、明治期以降、九州、奄美地方の六調節が、八重山を通して与那国に伝わり、独自の歌詞が一部付きました。
⑨ 与那国のわらべ唄(中山ぬ神仏〜どぅなんだぎ〜北ぬさんか゜いてぃ)
桂子といずみ、2人のアカペラ曲。冒頭の曲は、『中山(地名)の神仏さま お父さん お母さんが 畑から帰るまで 雨は降らさないでください お願い お願い』 と歌われています。
⑩ 旅果報節(旅御前風)
『かりゆし(めでたい)の船に 幸せを乗せて 旅の行き戻りは 絹布のような穏やかな水平線から』 と歌われた、実り多き航海を祈願する唄です。
⑪ 嫁入唄
いずみの歌唱によるアカペラ曲です。嫁ぐ娘に贈る唄です。
⑫ 与那国小唄
1930年代に作られた与那国賛歌として、広く知られている曲です。
⑬ 若船でぃらば
有羽と桂子夫婦の歌唱によるアカペラ曲です。新しく建造された船を愛でる唄です。
⑭ ゆさぐい節
『旦那への返答は心配するなクヤマニ(女性の名前) 母が立派に考えてあげましょう』 と歌われる、母が娘を思う唄です。
⑮ 来夏節〜うぶだみてぃ節
来夏の豊年を祈願する「来夏節」と、その唄のちらし(散らし)に当たる「うぶだみてぃ節」のメドレーです。
⑯ どぅなんすんかに
『与那国の情け 交わす言葉の情け 命の続く限りお付き合いしましょう』 と歌われた唄です。
⑰ 与那国ストトン節
大正末期の流行歌「ストトン節」が与那国にも伝わり、一部オリジナルの歌詞を残しながらも、与那国独自の歌詞で歌われています。
⑱ 道唄
『今年の年始め 酉の年始め 迎える年が弥勒世(弥勒菩薩が未来に現れて、人々を救う世)になるように』 と歌われた未来に希望を託す唄です。
⑲ ナナチガニ
陶芸家の山口和昭の笛の独奏。笛は八重山及び与那国の民謡でよく使われます。
⑳ ありし波多浜
与那国にある、なんた浜を偲ぶうたです。メロディーは沖縄民謡の「かいさーれー」が元になっています。
㉑ みらぬ唄
有羽の唄によるアカペラ曲です。『見ないならそれでよいが 見れば抱きたくなる 抱けば恋しくなり、募る慕情でたまらなくなる』 と歌われる、切ない恋心を歌った唄です。

作詞・作曲:8曲目は曲は九州・奄美民謡、歌詞は一部与那国で改変されました。12曲目は作詞は与那国女子青年団&宮良泰平、曲は与那国民謡。17曲目は一部歌詞が与那国で改変されました。原曲の作詞と作曲は添田さつき。20曲目は詩:宮良保全、曲:沖縄民謡。あとの曲は全て与那国民謡となります。



■與那覇 有羽プロフィール

1986年6月沖縄県与那国島に生まれる。幼い頃から祭りの笛の音や、祝いの三線を聞いて育つ。2001年、南風原高校へ進学の為に那覇に出る(沖縄県立南風原高校には、沖縄芸能の基礎的な歴史を学ぶ郷土文化コースがあり、琉球全島から三線や踊りを学びに集ってくる)。沖縄民謡に興味を持ち、多くの唄者の音源を聴き、その唄・三線を学ぶ。高校時代は、島唄案内人の小浜司氏が経営していた島唄カフェ「まるみかなー」にも通い、さらに多くの民謡と出会う。

その後、沖縄県立芸術大学に進学し、琉球古典音楽などの習得を目指すが、学術的体系に沿った習得より、自由に音楽を学び、歌い、演奏したいとの思いから、大学を飛び出す。2011年、与那国に戻る。

与那国に伝わる民謡、伝承歌を数多く習得し、持ち味のダイナミックでおおらかな歌唱で、与那国内外でライブを行う。また、島で豊富にとれるクバ(枇榔)を使い、民具を製作しながら、ワークショップも開催している。

与那国で祭りや行事などに唄・三線演奏者として参加しながら、与那国の音楽と伝承文化を全国に伝える、若きホープである。

■録音メンバー

唄・三線・囃子:與那覇 有羽
唄・囃子・島太鼓:與那覇 桂子
箏・唄・囃子=太田 いずみ、笛、囃子:山口和昭
なお、太田いずみの旧姓は與那覇で、與那覇有羽の妹になります。

■録音データ

録音:サードガレージスタジオ(沖縄市)
ミックス&マスタリング:スタジオアトリオ(東京)