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Rene Paulo レネ・パウロ

唯一のハワイアン・ラウンジ・ピアニスト。

1929年ハワイ、オアフ島ワヒアワ(ホノルルからフリーウェイで約1時間弱)生れのレネは、フィリピン人の血をルーツに持ちます。
母親が弾くピアノに興味を持ち、その後個人教授からピアノを習い始め、18歳になると、ニューヨークのジュリアード音楽院へ進学しました。「クラシックやジャズを本格的に学びたかったんだ。」と述べています。

1950年代は、アメリカ軍属のピアニストとして様々な所に行きましたが、その内の1年半程を日本で過しました。
「夜の六本木や赤坂、銀座のジャズ・ピアニストの帝王」として日本の社交界のトップクラスの人々の前で演奏しました。
また、日本では奥さんであり、歌手の“アケミさん”(日系の女性)と一緒にステージに立つ事もしばしばありました。

その後ハワイに戻り、1960年代いよいよワイキキにて本格的な演奏活動をスタートします。
当時のワイキキは、“ラウンジ・ミュージックの楽園”と呼ばれる程、クラブやバー、キャバレー(総称してラウンジ)が多数あり、あらゆる場所でピアニストが求められました。
船や、パン・アメリカン等の航空機でアメリカから“夢の楽園”ハワイに大挙押し寄せる観光客の前で、ロマンチックなハワイアンのナンバーを奏でるレネは引っ張りだこでした。

1961年、アメリカ本土のリバティレコードから、ファースト・アルバムをリリースし、その後1970年までに18枚か19枚のアルバムをリリースしました。

1970年代以降、人々の音楽的興味の変化や、レネ自身もワイキキでキャバレーを経営し始めた事も手伝って、徐々に演奏活動は減っていきました。

1998年、サンディがレネをゲストに迎えたアルバムをリリースする迄は、レネの新しい録音を耳にする事もなく、またCDショップでもごく稀に、ベスト・アルバムを1枚見かけるのみという、淋しい状態でした。

そして2002年、32年振りとなるオリジナル・アルバムをリリースすると共に、待望の来日公演も決定しました。
「ハワイのルーベン・ゴンザレス(ブエナ・ビスタ・ソシャル・クラブで復活した“忘れられた”キューバのピアニスト)こと、レネ・パウロが72歳にしてみなさんの前に登場します。

ジョージ・ウィンストン氏のコメントを紹介致します。
“This is a great new album of Rene Paulo's beautiful solo piano playing and arrangements. This is also a great treat, since solo instrument piano is rare in Hawaiian music”/George Winston



このアーティストについて

   
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